09/26: マイ・スイーツ・ハート
【マイ・スイーツ・ハート制作日記】
「マイ・スイーツ・ハート」を撮影し終えて、早くも1年以上の年月がたちました。ここら辺で、今までの流れを振り返ってみたいと思います。
【企画・構想】なぜ映画を撮りたいと思ったのか。
映画を撮ることは私の長年の夢でした。
これまで、私は自分が経営する大学受験塾の業務や大学の授業に追われて毎日を忙しく過ごしていました。
私が経営する成増塾は、1996年に設立して以来、着々と業績を伸ばしてきました。
特に、ここ数年は、やる気のある優秀な講師やスタッフに恵まれ、前年度の実績を大きく上回る順調な伸びを示しています。
今年2月には四つ目の校舎を阿佐ヶ谷にオープンすることができ、生徒数も250人を超えるほどになりました。
また、私は同時に、憲法の研究者のはしくれでもあり、大学院の指導教授から大学の非常勤講師の仕事をいただき、自分の専門分野の憲法学を武蔵野音大などで楽しく教えていました。
しかし、それらのいわば「本業」をこなしながらも、心のどこかに「このままで人生終わりたくない、何か自分が本当に好きなことをしたい。」という気持ちを常に持っていました。
ただ、自分のやりたいことが何なのか、はっきりはわかりませんでした。
私は、子供のころから絵を描いたり、楽器を演奏したりするのが好きでした。
大学のときは、油絵をやっており、毎年、50号の作品を、自分が所属する展覧会に出品していました。
また、音楽は、子供時代にはヴァイオリン、大学を出てからは、趣味で声楽をやっていました。
学習塾の経営が軌道に乗る前は、音楽スクールを経営していた時期もありました(残念ながら採算が合わず、途中で閉じました)。
演劇にも以前から興味があり、高校生の文化祭の時にゴーゴリの検察官をやって以来、さまざまな演出を手がけてきました。
最近では、シェイクスピアの演劇やモーツアルトのオペラの演出をいくつかやりました。
このように、私は、美術、音楽、演劇と、一通り、いろいろなものに手を出していたのですが、今ひとつ、本当にやりたいものが見えていませんでした。
そんな折、ソニーからハイビジョン撮影ができるビデオ・カメラ(FX-1)が発売されることを知りました。
キャッチフレーズには「このカメラがあれば、素人でも、プロと同じように、高水準の映画が作れる。」と書いてあります。
「素人でも映画が撮れる!」このキャッチフレーズは、私の心をつかみました。
私は、直ちに、このハイビジョン撮影ができるカメラを買うことにしました。
ちなみに、「素人でも、プロと同じように、高水準の映画が作れる。」というキャッチフレーズは、うそではないのですが、ほとんど不可能に近いことが今は、痛いほどわかります。今回の撮影は、「王様のレストラン」の撮影などを手がけた、栗栖直樹さんたちにお願いしましたが、彼らが撮ると、同じカメラで撮っても、素人である私たちが撮るのとは全く違う絵が撮れます。やはり、照明、微妙な調整など、素人と、プロの差はあまりにも大きい、というのが現実なのです。
当時は、そんなことも知らずにいました。で、大学院のゼミで、今回、助監督の三浦君、撮影助監督の大内さんにこのことを話したら、すごく盛り上がりました。
(ちなみに、三浦君、大内さんは私など足元にも及ばない「映画通」で、二人の「映画ネタ」の話に、私はついていくことさえできません。)
早速、早稲田のキャンパスでビデオのためし撮りをしました。
もちろん、本格的なカメラを扱ったことなどありませんから、満足のゆく絵を撮ることはできません。(そのときのためし撮りでは「満足のゆく絵」どころか、「ただ撮った」というほうが正確かもしれません。)
ただ、三人で何か映画みたいなものを作りたいね、という話にはなりました。
それからしばらくして「どうせやるならちゃんとしたものをつくりたい」という気持ちが自分の中で、どんどん大きく膨らんできました。
昨年の夏休み前ころ、ちゃんとした映画を撮ろう、と心に決めました。
武蔵野音大の授業の際、雑談で学生にそのことを話したら、すごく興味を持ってくれました。
何人かの学生が「エキストラが必要な時は是非声をかけてください」といってきました。
こんなわけで、映画を撮ることになりました。
【スタジオ・フェニーチェ誕生】
映画を撮りたい、この話を現在、大手テレビ局でディレクターをやっているビリーにしてみました。
ビリーは私の高校、大学からの友人で、私たちは高校時代には文化祭に向けて一緒に映画を撮りました。
私とビリーが通っていたのは都立戸山高校です。
この高校は、毎年、生徒が質の高い8ミリ映画を作ることで有名でした。
私たちの代も、各クラスが一丸となって、文化祭に向けてそれぞれ質の高い作品を作ろうと競い合っていました。
その際は、私が監督、ビリーが撮影を担当しました。
今回「マイ・スイーツ・ハート」を作ることになり、私たちのコンビは、20年以上の歳月を経て、復活したのです。
こうして、私、ビリー、三浦君、大内さん、の4人で映画を作る、という夢は実現に向けて大きく動き出したのです。
私の提案で、私たちは今年から、継続的に映画を作ることになりました。
そこで、この4人を中心に「スタジオ・フェニーチェ」という映画制作グループを作ることになりました。
打ち合わせをするスタジオ・フェニーチェのメンバー。左から、三浦君、高島、ビリー。
「フェニーチェ」とは、イタリア語で「不死鳥」の意味です。
近年、ベネチアの「フェニーチェ劇場」の名が日本でも知られるようになり「フェニーチェ」という言葉を聴いた人も多いでしょう。
私は、ベネチアに旅行をしたとき、「フェニーチェ劇場」のすぐ近くのホテルに泊まりました。
「フェニーチェ劇場」は世界で屈指の名門のオペラハウスです。
何回か火災にあいましたが、そのたびに再建され、世界のオペラファンを魅了し続けています。
私は、その話を聞き、いつか、自分も「フェニーチェ」という言葉を使って、何かをやりたい、と漠然と考えました。
これから私は、死ぬまで映画を作り続けるつもりです。
できれば、死ぬまでに、私が死んでからも語り継がれていくような映画を作ってみたいと思います。
その意味で「フェニーチェ」という名前には、私たちが不朽の名作を作りたい、という希望がこめられているのです。
【キャスト募集→オーディション】
映画を作るとなると、まず役者が必要です。
これは、オーディションで選考することにしました。
「映画を作ることになったので、オーディション雑誌で募集したい」と 広告代理店、広美(こうび)の渡辺英一さん相談しました。
渡辺英一さん(英さん)は、年齢は私より三つ上ですが、私の昔からの友人で、私が小学生のころはよく遊んでもらっていました。
最近、 広美に成増塾のパンフや新聞広告を頼んでおり、その縁で英さんとの交流も復活していたのです。
現在、主要なオーディション雑誌には、「月刊オーディション」と「月刊デビュー」があるのですが、お金を払ったからといってすぐに募集広告を載せてくれるわけではありません。
それは、このような雑誌に広告を載せる人たちの中には、「オーディション」という名目で、お金だけとって雲隠れしてしまう悪い人がたくさんいるからなのです。私たちも、相当厳しい書類審査を通り、やっと「月刊オーディション」12月号にキャスト募集の広告を載せてもらうことが出来ました。
「マイ・スイーツ・ハート」のオーディションの記事は、自分が予想していた以上に反響を呼びました。
結果として、全国の200名以上の方から履歴書が送られてきました。
応募してきた人はさまざまです。
事務所に属して、タレント活動をしている人、無所属で舞台中心にやっている人などが多かったのですが、中には、「役者になりたいのだが、オーディションに出るのは初めて」という人もいました。
その中から、書類で約40名の人を選び、3月19日、20日に成増塾阿佐ヶ谷校の一室を使い、オーディションをしました。
課題は、「マイ・スイーツ・ハート」の台詞を練習してきてもらうことにしました。
2日間にわたるオーディションには、三浦君、大内さん、渡辺さんなどに来てもらい私とともに審査員をやってもらいました。
カメラチェックをしたのはビリーです。
審査ではずばり、本当に実力があるかどうかだけを見ました。
過去にどんな作品に出てたか、などの経歴は関係ありません。
オーディションが終わって、主役に決まった長井君が「あのオーディションでは、審査員の手元にプロフィールの書類がなかったので、ほんとに演技だけで選んでいるな、と思いました。」と語ってくれました。
オーディションは実力だけで選ぶ、これは、私にとっては当たり前のことです。
私は、成増塾の講師の選考の際にも、これと同じやり方をしています。
成増塾の講師の選考では、講師の実力を重視しており、過去にどんな予備校で教えてきたか、ということよりも、与えられたチャンスに実力を発揮できるか、を見ています。
実力のない人は、面接では調子のいいことをいうのですが、模擬授業をさせてみると、一目瞭然でわかってしまいます。
私は、講師の採用に際し、今までいやというほどそういう例を見てきたので、決して、過去の経歴だけで人を選ぶ、ということをしません。
今回のキャストで応募してきた人の中には勘違いをしている人がいて、「自分は、長年プロとしてやってきたので、オーディションなど受けたくない、面接で決めてくれ。」などとしつこくいってくる人もいました。
話が横道にそれましたが、結局、オーディションには、多くの、実力のある方に参加してもらいました。
今回は役柄のイメージと合わないため、採用を見送った方の中にも、非常に実力のある人たちがいました。
【充実したキャスト陣】
オーディションの結果、主役の八重樫翔五(やえがししょうご)は長井雅斗君、綾は大沢有希さんにやってもらうことになりました。
結果的には、主役をこの二人にして大正解でした。
主演の八重樫翔五役、長井雅斗さんとヒロイン綾役、大沢有希さん。 初めての読み合わせのときに撮りました。
長井君も、大沢さんも、今回が、映画主演初作品、ということで、この作品に「命を賭けている」と、こちらが感じるくらい一生懸命やってくれるのです。
大沢さんは旧名「絵川舞子」で数々の有名雑誌の表紙を飾る「グラビア・クイーン」でもあります。
http://www.tokyo-sports.co.jp/v/vtop.htm
長井君も、映画、舞台、幅広く活躍中です。
http://www.promage.co.jp/nagai.htm
今回の撮影は、ほとんどNGがなく、非常に順調に進んでいきました。
私が、撮影本番でいつも「いーねー、オッケー」といっていたので、ビリーなど、「高島は、いーねー、しかいわない」などといっていました。
ですが、私としては、きちんとした基準を頭の中にもっていて、二人とも、その基準を超えてくれているのだから、NGを出す理由がないのです。多分、二人とも、相当練習してくれていたのだと思います。
これは、私の基本的な考え方ですが、演技は、その場で直して、よくなる、とは限らないのです。
むしろ、逆で、NGを何回もだすと、演技は、だんだん悪くなっていきます。何回か撮りなおしても、最初に撮った演技が一番いい、ということはよくあることです。
また、二人とも、こちらから言わなくても「演技をチェックしてください。」といってきてくれます。
二人の熱心さに私も動かされました。
長井君も、大沢さんも撮影中、どんどん演技がうまくなっていきました。
また、この二人の主役を支える助演の人たちの演技がすばらしい。
たとえば、翔五の親友、山本は、松田周君が演じました。松田君は、今回映画撮影は初めてとのことですが、オーディションの時点でその実力は傑出していることはすぐわかりました。とにかく、せりふの言い回しがなめらかで演技が自然なのです。彼にかかると、長くて難しいセリフも、非常に自然に聞こえます。松田君は、バンドのボーカルでも活躍しています。
松田周君。
http://www.h7.dion.ne.jp/~shizuku0/PROFILE.html
次に、翔五の先輩高木は、大西貴之さん。彼は、なかなか渋い演技をします。風貌も、ジョニー・デップに似ています。将来が楽しみな役者さんです。
大西貴之さん
http://www.deru2.com/derudrama/member_detail.php?ddid=3&no=67
あと、春香の母親役をやった西澤実峰さん。彼女は、ほんとにプロ意識の高い女優さんです。彼女が演じる役柄は、場面によって、悲しみ、喜び、を表現する難しいものだったのですが、見事に演じきってくれました。安定した表現力には驚かされました。きっかけさえあれば、今後相当注目される女優さんになると思います。
http://www.tachibana-pro.com/actress/miho.html
忘れてならないのは、春香役を演じた白坂奈々ちゃんです。彼女に関して特に印象的なのは、初顔合わせで、セリフの読みあわせをしたとき。5才の彼女は、お母さんの横で、台本から目を離しません。もちろん、年齢からいって台本の内容を完全に理解することなど出来ないのですが、それでも、じっとほかの人のセリフを聞きながら、台本に見入っています。撮影本番でも、彼女の集中力は並外れていました。主演の長井君も「オレの最大のライバルは奈々ちゃんかもしれない。」と真剣な表情で言っていました。
白坂奈々ちゃん。
http://www.tachibana-pro.com/actress/nana.html
子役では、奈々ちゃんの友だち役の花恋ちゃん、沢田春菜ちゃん、渋谷美優ちゃんもがんばってくれました。
http://www.tachibana-pro.com/actress/karen.html
撮影の合間にゲームを楽しむ白坂奈々ちゃんとスタッフ。
そのほかにも、杉田を演じた小林直樹さんにも驚きました。彼に対する私の第一印象は「地味な演技をする役者さんだな」というものでした。しかし、全編撮り終えて、いざ編集をしてみると、彼の意図は見事に成功していることがわかりました。彼は、決してオーバーな表現をしないのですが、素朴で、シャイで、温かみのある人物である杉田を完璧に演じてくれたのです。
部長役の吉岡扶敏さん、元パティシエの安本健さんは、役者としてのキャリアも長く、演技に関しては「さすが」のひとことです。非常に深い味わいのある演技をしてくれました。
http://www.gekidanmingei.co.jp/yosioka.htm
高見沢役の久野明孝さんは今回のパティシエの役作りのため、洋菓子店で修行をしてくれたそうです。彼は、なんといっても表情がいい。そこにいるだけで、すごい存在感があります。これは、役者としてとても重要なことです。
http://dir.yahoo.co.jp/talent/8/m96-0178.html
ケーキ店「モンパルナス」の店員役、久永れいはさんは目力(めぢから)を持っている上に、しっかりした演技の基礎があるひとです。「いらっしゃいませ」という表情も自然で、観る人の心を和ませてくれます。
http://skycorporation.co.jp/print.php?tl_id=74
綾の母親役の神列カヨヒさんはとてもいい持ち味を出してくれました。神列さんは宇都宮から自分の劇団「チームみぎへならえ」のメンバー、高下智史さん、田中由香里さん、幸田和巳さん、藤枝弘明さん、小口裕美さん、菊池玲美さん、佐藤恵里さんをエキストラとして登場させてくれました。彼らナシには、パーティーシーン、結婚式のシーンの臨場感を出すことは不可能でした。この場を借りてこころよりお礼申し上げます。なお、「チームみぎへならへ」のみなさんは、栃木を中心として幅広く活躍の舞台を広げています。彼らの運営しているブログは、とても面白いので、みなさんもぜひご覧ください。
神列(みぎわ)カヨヒさんです。
翔五の同僚のパティシエ、仲拓磨さん、三好昭央さん、多賀康之さんも、しっかりとした演技で場面を大いにもりあげてくれました。中でも仲さんは、コミカルな演技で、非常にいい味を出してくれています。↓仲拓磨さんです。
http://academy.ozent.jp/myalbum+photo.lid+10.htm
三好君です。http://cultstar.exblog.jp/
多賀君です。http://www.sunmusic-brain.com/profile_p.php?id=137
綾の友人、宣子、雅恵、は、菊川可奈子さんと北河あをいさんが演じました。コンテストに出したテープには残念ながら時間の関係で二人の演技する冒頭のシーンは映っていないのですが、今後、リリースを予定している「マイ・スイーツ・ハート」完全版では、その部分もぜひ入れたいと思っています。
このように、キャストの演技に関しては、相当クオリティの高い作品に仕上ったと思います。
【なぜ、パティシエなのか】
「マイ・スイーツ・ハート」はパティシエ、つまりお菓子職人のストーリーです。
この映画の話をすると、よく、「なぜ、パティシエなの?」という質問をされます。
私が、ケーキ屋さんの話を書こうと思ったきっかけは、このストーリーに出てくるケーキ屋「モンパルナス」のモデルである、目白の「エーグル・ドゥース」にあります。
http://www.g-chef.com/patissier/p11.html
私は、仕事の行き帰りに、この「エーグル・ドゥース」の前を通ります。
「エーグル・ドゥース」は、私の事務所から徒歩3分位のところにあって、近所でも評判のお店です。
後で知ったのですが、このケーキ店のオーナーの寺井則彦さんは、本場パリのコルドンブルーで講師をやったこともある超有名パティシエで、洋菓子界の中では実力ナンバーワンとされている人物です。
私もその店にはよくケーキを買いにいきます。
仕事帰りに、夜11時ころこのお店の前を通っても、厨房では、電気がついており、パティシエが、黙々とケーキ作りに励んでいます。
その光景を見るたびに、このお店を舞台に、パティシエを主役にしたら素敵な話が作れるのではないか、と思っていました。
そこで、少しずつストーリーをふくらませていきました。
「モンパルナス」の舞台として、いくつかの候補がありました。三浦君や大内さんといくつかのお店を下見しに行きました。
やはり、「エーグル・ドゥース」の雰囲気は、おしゃれで、抜群です。
私としては、とにかく「エーグル・ドゥース」て゛撮りたかった。
三浦君に相談すると、「ああ、あの店は、ちょっと無理なんじゃないですかね」といわれました。私たちのような、趣味で映画を撮る連中に貸してくれるような雰囲気だとは思えなかったのです。
ですが、私はやるだけやってみました。
企画書を作り、スーツを着込み、寺井シェフがいるところにたずねていきました。
出てきた寺井シェフに「自主映画の撮影場所としてお店を貸してほしい」と切り出すと、「え?」といった感じです。
それは仕方のないことです。なにしろ、どこの誰ともわからない人が、突然やってきて大事なお店で「映画を撮らせてほしい」というのですから。
それで、最初は当然、丁重に断られました。映画の中で、翔五が高見沢謙作の店を訪ねていき、突然「弟子にしてください」というのですが、「そういわれても困るんだよね」といって断られます。まさに、そんな感じです。
私は、企画書をさらに細かく書いて、もう一度訪ねていきました。私が余りに,熱心だったせいか、寺井シェフは「1週間くらい考えさせてください」という返事でした。
そして1週間後、お店に電話をしてみました。すると意外や意外、こちらの熱意が伝わったのか、寺井シェフからオーケーが出ました。
だめもとでも、やるだけやってみるものですね。「あの店は無理」といっていた三浦君など、驚いていました。
寺井さんは、一見クールなキャラで、 いかにも、「カリスマ・パティシエ」といった雰囲気なのですが、こちらがケーキのことで相談すると、自ら進んでいろいろなアイディアを出すなど、親身になってアドバイスをしてくれました。また、技術指導者として、「エーグル・ドゥース」のパティシエ、本間さんをつけて下さいました。
「モンパルナス」の舞台となった、目白の名店「エーグル・ドゥース」右は、技術指導をしてくれたパティシエの本間さん。
左から、杉田役の山本直樹さん、宣子役の菊川可奈子さん、高木役の大西貴之さん、翔五の先輩パティシエ役の仲拓磨さん。
【撮影初日】
撮影初日は、この話に出てくる5才の女の子、春香の誕生日シーンです。
このシーンは、ストーリーの中で非常に重要な意味を持っています。
撮影は、目白の高島事務所でおこなうことになりました。
撮影の数日前、今回撮影を担当していただいている(有)ジェニックの栗栖さんと打ち合わせをしました。
栗栖さんは「マイ・スイーツ・ハート」の台本を読んで、「絵本のようなイメージを持った」と私に語ってくれました。そして、パーティーシーンで使う事務所のテラスを見て、「花を飾ったりするといいですよ。」というアドバイスをしてくれました。
私は、そのアドバイスどおり、次の日に近くの第一フラワーという花屋に見栄えのする鉢植えの花を買いにいきました。
結局、白いマーガレットの鉢植え二つ、赤い花の鉢植えを四つ買いました。
また、パーティーで使うガラステーブルには、赤いテーブルクロスをかけ、画面に鮮やかな彩りを加えることになりました。
画面のバックは新緑の生垣で、それだけでもきれいなのですが、そこにも白い造花のユリのリースを飾りました。
撮影当日、4人の女の子がいすに座り、周りを白いユニフォーム、クラウン帽を身に着けたパティシエたちが囲むと、鮮やかな色彩があふれるすばらしい画面になりました。
赤いテーブルクロスと、白いユニフォームのコントラストが美しい。
春香役の白坂奈々ちゃんと翔五役の長井雅斗君。
私がここで学んだのは、「映画の一つ一つのシーンは、それだけを見ても楽しめる、絵画のようなものにしなければならない。」ということです。
少なくとも、私はそういう映画を作りたい、と強く思いました。
そして、いよいよ撮影初日、朝9時に、高島事務所のロビーにはすでに多くのキャストが集まっています。外には、撮影スタッフの人たちが車で乗り付け、機材をどんどんおろしています。
いよいよ撮影開始です。
初日、一番たいへんだったのは、やはり、庭での誕生日会の撮影シーンです。このシーンには春香とその友達役の子役が4人、翔五を含むパティシエが6人、それに、綾と春香の母親が加わります。
子役の人たちは、まだ5才前後です。子供たちは何回も同じようなことを繰り返さなければならないので、集中力が途切れ、疲れ始めてきます。
ここで学んだのは、「子供は集中力が続かないから、さっさと撮らなければならない」ということでした。
また、太陽光線にも泣かされました。しばらく撮っていると光と影の部分の比率が変わってきてしまうのです。最初、テーブルクロス前面に当たっていた光は、撮影が終わるときは、半分にしか当たらなくなっています。
屋外での撮影はスピードが命。とりあえず、芝居を「通し」で撮ってしまうことが何より重要だと思いました。
私は、この件があってから「80点主義」をとることに決めました。細かいところまでいちいちこだわっていると、いくら時間があっても足りません。
そもそも、予算と時間の限られた自主制作映画では、「とりあえず合格点」といえるレベルでどんどん撮っていくことが大切だと思います。
何はともあれ、天気にも恵まれ、初日の撮影は無事終わりました。
初日の撮影も終わりほっと一息。みんなで記念写真を撮る。
【撮影2日目、原宿ル・セーヌ館】
撮影2日目は、映画の最大のヤマ場になる、翔五の祝賀会です。この祝賀会の舞台として、私は、原宿のル・セーヌ館を選びました。
原宿ル・セーヌ館は、竹下通りから一本なかに入った「ブラームスの小径(こみち)」という裏通りに面した、19世紀ヨーロッパの雰囲気漂うレストラン・ハウスです。
竹下通りから一本入っただけで、ガラリと雰囲気が変わり、そこはまさに「大人のムード」漂う別世界。大人のデートにも十分耐えられます。
ヨーロッパ風の外観、ルセーヌ館。都内でも人気のスポットだ。
建物自体、石造りの外壁で夜にライトアップすると、えもいわれぬ美しさです。
パーティー会場は結婚式の二次会もよくおこなわれるガラス張りの大部屋を使用しました。
この場所を借りるのも一苦労でした。なにしろ、「わけのわからない人たち」が「自主映画を撮りたいので貸してくれ」といってくるのですから。
何回か交渉に行ったのですが、ここでも最初のうちは、明らかに、よい印象を持ってもらえませんでした。
それは、以前、テレビ局の撮影でお店を使用させたとき、置いてあるテーブルやイスを勝手に移動し、そのままにして、帰ってしまったからでした。しかも、そのテレビ局とは、ビリーが所属しているテレビ局というオマケつきです。
また、部屋の中に置いてある花瓶やシャンデリアは、本物のアンティークで、中には時価数百万から数千万するものもある、というのです。
私は、撮影には万全の注意を払うよう約束するが、万一壊したときのために、撮影スタッフ、キャスト全員が保険に入ることをお店の責任者に申し出ました。
私のそのような誠実な対応が効を奏したのか、撮影許可が下り、お店のみとたちも協力的な態度に変わりました。
最初は「けんもほろろ」だったお店の責任者も、私たちスタジオフェニーチェがプロの役者、スタッフが映画を制作する「ちゃんとしたひとたち」であることがわかってもらえたようでした。「高島さん、この時代に自主制作映画を作るなんてすばらしいですね。完成したらぜひ教えてください。」とまでいってくれました。
ル・セーヌ館での撮影当日、ここでも、すばらしい天気に恵まれました。
撮影の合間に。大沢さんと白坂奈々ちゃん。
撮影の合間に。三浦君と、長井君、大沢さん。
同じ敷地内にあるチャペルでの結婚式シーンの撮影も順調に進みました。
結婚式のシーンでは、私が牧師役を務めました。実は、3日前に、牧師役の人が急に出演できないといってきたため、急きょ私が代役を務めることになったのです。
自分で出るのも、まあ、いいかな、という気軽なノリでした。
撮影の合間に。この神父の衣装は貸衣装屋で借りた。うしろでおどけているのは仲拓磨くん。
夕方、翔五の祝賀会。これは、時間的に相当きつかった。何しろ3時間ほどで、クライマックスのシーンを撮りきらなくてはならないのです。
この祝賀会のシーンで、翔五は集まってくれた人たちに、ある重大な決意を口にします。親友の山本との激しいやり取り、高木の感動的なスピーチも加わり、見どころ満載の難しいシーンです。
ですが、ここでも、役者さんが、十分に練習をしてきてくれたおかげもあり、何とか時間内に撮影を終えることが出来ました。
このシーンで私が痛感したことがあります。それは、3人のやり取りを見守る周囲の友人、同僚たちの演技がきわめて重要だということです。彼らには、この場面ではセリフはありません。ですが、翔五や、山本や、高木の言葉を聴く彼らの表情をカメラは克明に追っていきます。
「目は口ほどにものをいう」という有名な言い回しがあります。この場面にリアリティと緊張感を与えるのは、まさに、彼ら「セリフのない役者」たちの目による演技なのです。
彼らの重要性は、セリフのある役者に勝るとも劣らず、非常に大きなものであることはいうまでもありません。ひとりでも、緊張感を欠いていたり、その場にそぐわない表情をしていたりすると、このシーンは台無しになってしまうからなのです。
このシーンには、神列カヨヒさん率いる「チームみぎへならえ」のみなさんも登場してくれました。彼らは、翔五の会社員時代の同僚です。さすが神列さんが鍛えている役者さんだけあって、表現力が的確です。このシーンの緊迫感を作り出すのに大いに貢献してくれました。
ビリーはこのシーンを撮る前「仲代達也は、無名時代に三船敏郎主演の映画に1秒だけ通行人のキストラとして映ったけど、それに全力を尽くしたそうだよ。」と語っていました。まさに、セリフなき役者の重要性を物語るエピソードです。
また、役者以外にも、 広美の渡辺さんが、社員の方を連れてきてくれました。彼らの表情がまた、すばらしい。とても素人とは思えないほどよくやってくれました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
そんなこともあり、無事、パーティーシーンの撮影は終了。
その後、建物の外で、綾がウエディング・ドレスを見るシーンを撮ってその日の撮影も無事終わりました。みなさん、本当にお疲れ様でした。
【スタジオ・フェニーチェの映画作り】
さて、ここで、「スタジオ・フェニーチェ」がどんな映画作りを目指しているのかをお話します。
今回の「マイ・スイーツ・ハート」は、私が脚本を書きましたが、それが完成する過程で、さまざまなアイディアが盛り込まれました。
まず、私が下地になる脚本を作り、三浦君、大内さん、ビリーがそれを読み、いろいろなアイディアを出してくれます。また、私の武蔵野音大時代の教え子の松村さんもたくさんの意見を言ってくれました。
たとえば、オープニングのシーンにケーキのプレートを使うことは、三浦君のアイディアです。そこにズーム・アップしていこう、といったのはビリーです。
また、このストーリーに登場する「伝説のカリスマ・パティシエ」山城圭次郎は、最初の脚本にはいなかったのですが、オーディションに来られた安本健さんの演技が、あまりにもすばらしかったので、ビリー、三浦君が何とか安本さんの役を作ろう、ということで、あとから付け加えたものです。
結局、安本さんが登場することで、ストーリーに厚みができました。
黒澤明監督が脚本を書くとき、やはり、数名で旅館にこもり、順番にアイディアをだしていった、といいますが、それと似ていますね。
では、私たち「スタジオ・フェニーチェ」の映画制作のポリシーはなんでしょうか。それは、非常にシンプルなことですが、やはり、観てくれたひとが楽しめるわかりやすく、ハッピーな映画です。それと、雰囲気のある映画。
こういうと、なんだか漠然としていますね。
では、私が最近観た映画の中で、特によい、と思ったものをあげてみましょう。
【私の好きな映画】
まず、最近のお気に入りはなんといっても、先日wowwowでたまたま観た、「美しきイタリア、私の家」ですね。監督は、リチャード・ロンクレイン、出演はマギー・スミスです。
この映画は、あるイギリス人の女性作家が、列車でイタリアの別荘に行く途中、爆弾テロ事件に巻き込まれるところからスタートします。
同じ列車に乗り合わせていた人たちは、彼女とともに病院に担ぎ込まれるのですが、退院するとしばらく彼女の別荘に滞在することになります。
たとえば、両親とともに旅行中だったアメリカ人の少女は、その事件で、両親を失い、ショックで口がきけなくなってしまいます。その少女は、女性作家の別荘に身を寄せ、同じ列車に乗り合わせていた人たちとの交流で、次第に心を開いていくようになります。
また、恋人と一緒に乗っていた、ドイツ人の青年は、自分だけ生き残ります。彼は、片腕を失ってしまいます。
そんな風に、身も心も傷ついた人たちが、イギリス人作家の別荘に滞在する間に、徐々に心と身体の傷を治してゆきます。
舞台になっているイギリス人作家のイタリアの別荘がすばらしい。
いろいろな花が咲き乱れ、小鳥の声がさえずっています。ぶどうの木の下に置かれたテーブルで人々が食事をとるシーンなど、まさに、私が憧れとしている生活そのものです。
映画全体は、イタリアの強い太陽の光のもと、明るい色調であふれ、人生のすばらしさを感じさせてくれます。しかしそれは、ただ、開けっぴろげに明るいだけでなく、他人の痛みを自分の痛みと感じる、やさしい気持ちに裏打ちされた人生への賛歌なのです。
http://www.wowow.co.jp/schedule/ghtml/018909001V1_main.html
またほかには、「トスカーナの休日」(オードリー・ウェルズ監督、ダイアン・レイン主演)や「ニューヨークの恋人」、「Shall We Dance」のリチャード・ギア版なんかも、雰囲気があっていいと思いました。
他方で、次回作として考えている「6人の迷える人々」のような社会派映画も手がけたいですね。
【スタジオ・フェニーチェ次回作「六人の迷える人々」】
この「6人の迷える人々」は日本で平成21年から導入される「裁判員制度」をテーマにしています。
「裁判員制度」は、重大な刑事事件に市民の中から抽選で選ばれた「法律の専門家でない」人たちがプロの裁判官と一緒に裁判に参加し、有罪・無罪を決めていく制度です。アメリカやヨーロッパでは、市民が裁判に参加するこのような制度がすでにありますが、日本もここに来て市民の裁判参加を実現しようとしているわけです。
裁判員制度は、ともすれば狭い世界にこもりがちなプロの裁判官に、市民感覚を持ってもらうことができる点など、プラスの面が強調されることが多いのですが、私はあえて、マイナス面に焦点をあてた作品を撮りたいと思っています。
その意味で、アメリカの陪審員制度をテーマにしたヘンリー・フォンダ主演の名作「12人の怒れる男たち」とは違う視点から裁判とは何か、ということを探っていく作品になると思います。
【撮影も無事終了し、最大の難関、編集作業】
「マイ・スイーツ・ハート」の撮影は無事終了し、次はいよいよ編集です。
実は、私にとっては、これが最大の難関のように思えました。
編集の業者さんに頼むと、100万円出せば全部やってくれるのですが、今後映画を作ったときも編集作業をしなければならないことを考えると、自分でやったほうがよいとも思えます。そして、編集はやはり、作り手の意図が直接反映されるものであることから、ビリーや、三浦君の薦めもあり、自分でおこなうことになりました。
ただ、私は、パソコンが大の苦手。いつも「ひとまかせ」です。
とりあえず、編集用にMACのG5を銀座のアップルストアに買いに行きました。ビリー、三浦君にもいっしょに行ってもらいました。
また、6月には発売されたばかりのハイビジョン・カメラ用編集ソフト「ファイナル・カット・プロ5」を買いました。
このようにして、映画編集の右も左もわからない私が、編集作業を始めることになったのです。
マックの講習会に通ったり、マックの電話サポートを受けたりして、徐々に編集の仕方を覚えていきました。
そして、9月になって、やっとストーリーをつなぎ合わせることができました。
【コンテスト出品→入選】
現在、全国には、自主制作の映画のコンテストがあります。有名なところとしては、「ぴあフィルムフェスティバル」「インディーズムービー・フェスティバル」などです。「マイ・スイーツ・ハート」も、いくつかのコンテストに出品しました。
「ぴあフィルムフェスティバル」は予選も通過しませんでした。
私は、「マイ・スイーツ・ハート」は自主制作映画といっても、相当水準が高いので、「ぴあフィルムフェスティバル」にはどんな作品が入選するのかと思って、TSUTAYAで何本か借りてきました。
観てびっくり!「なんじゃ、こりゃあ」というものばかりです。
私がいいたいのは、グランプリ受賞作品にしても、ひとことでいうと「わけのわからない自己満足の自主映画」ということです。
私は、ビリーと高校時代に8ミリ映画を作りましたが、そのレベルにも達していない作品ばかりです。
結局、どの作品も最初の数分で耐えられなくなり、早送りして目を通しました。
三浦君にそれを言ったら、「そんなもんですよ。基準が違うんですよ。」などといっています。
「基準が違う」。まさにその通りです。
「ぴあフィルムフェスティバル」から落選通知が来ました。
「選ぶ基準が違う」から、私は別になんとも思いませんでした。
もうひとつ出していた「インディーズムービー・フェスティバル」の方も、全く期待はしませんでした。何しろ名前からして「インディーズ・ムービー」というくらいだから、相当マニアックで、自主映画オタクの人たちが作っている、独りよがりの作品が評価されるコンテスト、と勝手に思い込んでいたのです。
ところが、意外や意外、こちらの方は、第三次審査まで通ったとの通知が来ました。
そして、数日後、「入選」との知らせが届きました。
目黒パーシモンホールでおこなわれた入選作品の発表式にて。
ここで、「入選」とは、これで終わりというわけでなく、これから、インターネットや、レンタルビデオ、衛星放送などで「入選作」をすべて公開し、一般投票を行い、その結果、投票数が一番多い作品が「グランプリ」に選ばれる、ということです。
そのような投票方法をとるので、「マニアックでオタク」な作品よりも、「多くのひとが楽しめる、わかりやすい作品」が有利になったようです。ちなみに、このコンテストの第1回のグランプリ作品は、「ゴジラ」や「あずみ」の監督をした北村龍平さんです。
作品の著作権は今後二年間、コンテストの事務局の方に移ってしまうので、営利目的の上映は禁止されるのですが、「広告活動自体」は大いにやってよい、とのことなのです。
【グランプリを獲りにいく】
8月25日、目黒のパーシモンホールで、インディーズムービー・フェスティバルのサミットに参加しました。
ここで、第8回のグランプリ、準グランプリが決定しました。
これを見て新たに決意したことは「せっかく入選したのだから、どうせなら第9回のグランプリを獲ろう」ということです。
グランプリ、準グランプリ作品になると、海外の映画祭に招待されたり、プロ監督としてデビューすることも多いようです。
スタジオ・フェニーチェが他の参加グループと違うのは、やはり、多方面に強い人脈がある、ということです。
そこで、早速、「グランプリ」獲得めざして、具体的な戦略を立てることになりました。
まず、 広美の渡辺さんを呼んで、ビリー、三浦君とともに「マイ・スイーツ・ハート」の広告の基本戦略を立案しました。
そして、大学時代からの友人にもいろいろなアイディアを出してもらいました。
【ボーカルグループのプロデュース】
その結果、決まったことは「マイ・スイーツ・ハート」の主題歌を歌うボーカル・グループをプロデュースするということです。
ボーカルグループのプロデュースは、映画制作とともに、私が長年温めてきた構想です。
現在、さまざまなボーカルグループが活躍していますが、私がプロデュースしようと思っているのは「大人の歌を歌えるグループ」です。
スマップや、V6など若い人に人気のあるグループはすでにたくさんあります。
しかし、たとえば30代以上の大人の女性が心から楽しめる歌を歌えるグループはありません。
ヨーロッパでは、ワールドカップの主題歌を歌った「イル・ディーヴォ」というグループが大人気で、日本からも熱烈なファンが応援に行っています。
私は、「イル・ディーヴォ」がヨーロッパでブレイクするはるかに前から「日本版イル・ディーヴォ」のプロデュースを考えてきました。
いよいよその夢が実現することになったのです。
つづく
Comments
Warning: mysql_num_rows(): supplied argument is not a valid MySQL result resource in /home/narimasujuku/www/studio-fenice.net/public_html/nucleus/libs/COMMENTS.php on line 83