11/24: 9人の迷える人々

【9人の迷える人々制作日記】→略して「9マヨ」(きゅうまよ)です。

【① なぜ裁判員制度なのか 】

私は、学習塾を経営するかたわら都内のロースクールや、大学、それに早稲田大学の主催する市民講座で憲法や行政法を教えています。数年前から授業で 裁判員制度の話題を扱っています。

裁判員制度は、国民の中からクジで選ばれた裁判員が重大な刑事裁判に参加し、プロの裁判官といっしょに、被告人は有罪か無罪か、有罪だとするならどのような刑を科すのが適当か、を決める制度です。

最高裁や法務省は、PRのためのパンフレットを作ったり、講演会を開いたり、映画を作ったりしています。中でも、映画は、有名な俳優が登場し、感動的なストーリが展開されています。裁判官も裁判員も、みんな、いい人たちで、戸惑いながらも、困難を乗り越え、結局は「裁判員をやってよかった。」という結末です。

私は、最高裁や法務省の作った映画を見て、「実際にはこんなにうまくいくはずはない。なにより、これらの映画は、裁判員制度が持っている重大な問題点に全くふれていない。」と感じました。

【② 裁判員制度の重大な問題点とは 】

私が「裁判員制度の重大な問題点」と考えるのは、たとえば「キャバクラ嬢のキャッチをしているいい加減な人が裁判員になってしまったらどうするか。」とか、「横暴な裁判官が、市民のことを軽視し、強引に自分の意見に同調せよと誘導する場合にも、裁判員には守秘義務があるので、そのようなことを公表できない。」などです。

私は裁判員制度を語る際にはこれらの問題をさけて通ることはできないと考えました。そこで、最高裁や法務省の作った映画ではわからない、裁判員制度の本当の問題点を盛り込んだ劇を作ることを考えついたのです。脚本の原案は、3日くらいで書き上げました。その後、三浦君や大内さんの意見を聞き、修正しました。

【③ なぜ「9人の迷える人々」なのか 】

タイトルは「9人の迷える人々」にしました。最初は裁判員6人なので「6人の迷える人々」だったのですが、プロの裁判官3人も含めました。なぜなら、プロの裁判官も自分の出す判決に絶対の自信を持っているわけではなく、時には「あの判決は間違っていたのではないか。」と不安にかられることがある、ということをしばしば聞くからです。

また、テーマがシリアスなだけに、あえてコメディにしました。コメディで楽しんでもらい、知らないうちに裁判員制度、そして、その背後にある「人が人を裁くことの意味」を少しでも考えてほしいと思ったのです。

幸いなことに、「9人の迷える人々」は新聞等のマスコミの方にも大きな関心を持っていただいています。シリアスなテーマなのに、コメディタッチで劇にしたことが新鮮だったようです。

【④キャストのオーディション】

今回もキャストはオーディションで選びました。月刊「オーディション」で宣伝したところ、全国から500名近い方からの応募がありました。

今回のオーディションは書類審査でイメージに合う人だけを選び、第2次審査は、相当厳選されたメンバーでおこないました。

オーディションに参加していただいたみなさまは、いずれも劣らぬ演技力を持っており、今回採用しなかった方の中にも「もし違う作品ならぜひ頼みたい」というレベルの方が多数いらっしゃいました。

また、書類審査では、キャストのイメージに合う方だけを選ばせていただきました。今回のオーディションに応募してくださったすべてのみなさまに、この場を借りて、謹んでお礼申し上げます。

7月1日、高円寺にあるスタジオ・フェニーチェ練習スタジオで、初顔合わせ、第1回の読み合わせ・練習をしました。

さすがに、芸達者な方がそろっており、2回目の読み合わせの時は、早くも、自分の役柄への深い理解を示すほどのセリフ回しをされている方もいらっしゃいました。

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和やかな雰囲気の初顔合わせ!

【⑤練習は集中して、少ない回数で行いました。】

今回の作品はスタジオ・フェニーチェとしては、初めての舞台作品です。練習に際して私は、なるべく少ない回数で、集中して行うことを心がけました。

キャストの中には「こんなに少ない回数で大丈夫ですか。」と心配される方もいました。ですが、私の考えでは、練習回数をたくさんとってダラダラやるより、少ない回数で集中してやったほうがはるかによい結果が生まれると思います。

結局、本番までに7回か8回の通し稽古をしただけです。ただ、毎回の練習は、本当に集中してできたと思います。通し稽古の際には、新聞やNHKの取材が入ったことも緊張感を維持するのに大いに役立ったと思います。

【⑥ 公演終了 】

みなさまのあたたかいご声援のおかげで、大きな失敗もなく、9月、10月の公演を無事終了することができました。お忙しい中、芝居を見に来てくれたみなさま、本当にありがとうございます。

★以下は、私とスタジオ・フェニーチェのメンバーが「9人の迷える人々」を作った動機です。興味のある方はお読みください。

裁判員制度と「9人の迷える人々」

【はじめに】

平成21年から、わが国で裁判員制度がスタートすることになりました。

裁判員制度はクジで選ばれた6人の一般市民が3人のプロの裁判官とともに重大な刑事裁判に参加し、被告人が有罪か無罪か、有罪だとすると刑をどのようなものにするか(量刑判断)を決める制度です。

「9人の迷える人々」は裁判員制度の評議(話し合い)の場面を舞台に、裁判員に選ばれた一般市民と、プロの裁判官のやりとりを通し、裁判員制度のさまざまな問題点をうきぼりにし、「人が人を裁くことの意味」を問うコメディです。

【この劇を作った動機】

最高裁や、法務省は、裁判員制度のPRのためにパンフレットを作り、講演会を開き、有名な俳優を出演させた映画を作っています。

ですが、最高裁や法務省の作った映画を見ても裁判員制度の肝心なところ、つまり本当の問題点はわかりません。

私は、大学の授業や市民向けの講座で裁判員制度について説明をすることが多いのですが、生徒や受講者の方から「裁判員制度の肝心なところがわからない。」という声を耳にする機会がありました。

そこで、最高裁や法務省のPR映画のような「当たり障りのないもの」ではなく、裁判員制度の核心に触れるような本当に大事な問題を盛り込んだ劇を作ろうと思い立ったのです。

最高裁や法務省の映画の共通の特色は次のような点です。

①登場する裁判員も、裁判官も、協力的で、ものわかりのよい「いい人」である。

②対象となっている罪が軽い。

★最高裁制作の「評議」⇒死人が出ていない。ナイフで刺したが軽傷ですんだ。 ★法務省制作の「裁判員制度 もしもあなたが選ばれたら」⇒放火したが死人は出なかった。

③結局は、みんなの意見がまとまり、最後には「裁判員をやってよかった」という結論になる。

以上の特色が共通しているのは、最高裁や法務省が、裁判員になることへの国民の不安を取り除くことを意図して映画を作っているからであると考えられます。

しかし裁判員制度の現実は次のようなものだと考えられます。

①裁判員の中には「この人には裁かれたくない」という人がいるかもしれません。たとえばキャバクラ嬢のキャッチをもやっていて、日当ほしさに来た人などです。この作品でもそういう若者(中田拓也)が登場します。

裁判員になると1万円を上限とする日当がもらえるので、「よくわからないけど、裁判所に行って話し合いに参加して、適当に手を上げれば1万円もらえる。」という人が来てしまう可能性があるわけです。

これはアメリカで問題になっています。低所得者層が日当を目当てに陪審員になりたがる傾向が指摘されているのです。

また、裁判官の中にも横暴で素人の意見を軽視するひとがいるかもしれません。全国各地でおこなわれている、裁判所が主催する模擬裁判でも、自分の意見に同調するよう裁判員を強引に誘導する裁判官がいて、それが新聞でも問題になりました。

②裁判員制度は重大な刑事裁判を対象としており、死刑、無期懲役などの判決を下す立場に立たされることもあります。

この劇でも被告人は「妻と子供に多額の保険金をかけて殺した」容疑をかけられています。つまり、有罪になれば確実に死刑とされる事例です。

⇒イギリスではこのような事件で無実の者を死刑にしてしまった例があります。日本でも、最近、強姦事件で有罪になった人が実は無実であったことがわかりました。

裁判員になる以上、間違った判断を下して、人の一生を狂わせてしまったり、最悪の場合には命を奪ってしまう可能性が常にあるのです。

最高裁や法務省の作ったビデオは、裁判員のこのような責任の重さにはあえてふれていないのです。

③話し合いをしても、意見が一致するとは限りません。最後まで意見が対立し、多数決で結論を出さざるを得ない状況になることもあります。

⇒各地でおこなわれる模擬裁判でも、最後まで意見がまとまらず多数決になることも少なくありません。多数決で自分が支持する意見を否定された人は、納得できない気持ちをいだき続けるかもしれません。

⇒裁判員制度の真の姿を知るには、以上のような問題を避けて通ることができないのです。

⇒そこで、「9人の迷える人々」の中では、あえて、このような問題をとりあげました。ただし、深刻なテーマであることからコメディにし、誰でも気軽に楽しめるものにしました。また、この劇の中には、以下紹介するような裁判員制度の問題点も盛り込んであります。

【裁判員制度の問題点or疑問】

①ふまじめな人が裁判員になったらどうするのか。

⇒裁判員を選ぶとき、一応、裁判官等によるチェックはあるが、きちんとチェックがおこなわれるとは限りません。アメリカでもこの問題は深刻です。アメリカの陪審員たちが、コインの裏・表で有罪・無罪を決めようとしたことが発覚したこともあります。映画「12人の怒れる男たち」でも、「ナイターに間に合わないから早く帰りたい」という人物が登場します。

②市民の常識を反映させることができるのか。「裁判の公平」との矛盾。

⇒「健全な市民感覚」を反映させるとは、どういうことなのでしょうか。

模擬裁判などの結果から、裁判官は、有罪・無罪、量刑判断が一致することが多いことがわかっています。しかし、市民の判断はバラバラになります。

最高裁が採用している裁判員制度のキャッチフレーズに「あなたの意見を生かしてください。」というものがあります。

「自分の意見」を言った裁判員たちに、裁判官の「相場」を押し付つけることは「健全な市民感覚」の反映という要請と矛盾することになるようにも思えます。

③守秘義務の問題点。

⇒守秘義務が邪魔になり「横暴な裁判官が、裁判員に対し、強引に自分の考えに同調することを迫った」などの事実が明らかにならないことも考えられます。

守秘義務は「もし、評議の秘密を後になって公開されてしまうのでは、裁判員は自分の意見を後で批判されることを恐れ、何も言わなくなってしまう。だから、評議の内容は秘密にしなければならない。」ということから定められています。

しかし、アメリカの陪審員制度が守秘義務を課していないことからもわかるとおり、裁判員制度にとって守秘義務は論理必然の要請であるとまではいえないのです。守秘義務を課すことで、かえって、刑事司法の問題点を隠蔽してしまう危険があることを忘れてはなりません。

④多数決で有罪、量刑を決めることの問題点。

⇒意見がまとまらなかったら結論は多数決で決められることになります。しかし、刑事裁判は「疑わしきは被告人の利益」というのが原則です。同じ事件を判断して、有罪、無罪と意見が分かれるのは、その原則と矛盾するようにも思えます。また、死刑判決を多数決で出せるという点も疑問が残るところです。

★ただし、これは、裁判員制度だけの問題ではなく、刑事裁判全般に言えることです。地裁、高裁、最高裁で同じ事件に対する有罪・無罪の判断が異なることもあります。また、最高裁の中で、有罪・無罪の判断が分かれることもあります。

⑤無罪と考えた人も量刑判断に参加しなければならない。

⇒無罪と考えた裁判員としては量刑判断に参加させられることは心理的葛藤を感じるはずです。

★これも、裁判員制度に固有の問題ではなく刑事裁判全般の問題点といえます。プロの裁判官もこの問題に直面します。私は、法務省の質問コーナーにもこの問をぶつけてみましたが、納得するような答えは得られませんでした。有罪だったら死刑判決が出るような事案でも、被告人が無罪と考える人は執行猶予をつけるべきだと考えることになるのでしょうか。

⑥市民の裁判員制度に関する知識が不充分。

⇒裁判員制度は一審にしか適用されないことを知らない、とか、陪審員制度と裁判員制度の区別がつかない国民は多数を占めるのが現状です。また、有罪率が99.9%である事はほとんどの国民が知りません。ただし、最後の点は周防監督の映画「それでも僕はやってない。」の宣伝もあり、以前よりは知られるようになりました。

⑦法学部の教授、弁護士は裁判員になれない。

⇒刑事司法の問題点を解決していくのが狙いの一つだとすると、あえて除く理由はないようにも思えます。

裁判官の本音は「自分と同等に知識があるひとが参加すると都合が悪い」ということなのでしょうか。

この作品に登場する「青山」(彼は、司法試験浪人で10回も試験に落ちました。ですが、法律のことにやたらに詳しく、評議の最中に、突然解説を始めたり、裁判官を困らせるような鋭い指摘をしてきます。)のような存在は、裁判官にとっては邪魔になると考えられます。

⑧「人を裁きたくない」という思想を理由に辞退することはできるのか。

⇒法務省自体混乱していると思えます。私は、この質問を法務省の質問コーナーにぶつけてみました。最初に出た人は「人を裁きたくない、という思想を理由に裁判員を辞退することはできません。」と回答しました。私が「憲法で保障されている思想良心との関係はどうなるのか。」と聞いたところ、15分くらい待たされ、違う人に回されました。その人は「思想を理由にする辞退はある程度認めざるを得ない。」と答えました。詳細は政令で決めるそうですが、いつ、どのような内容で決めるかは、いまだにわかりません。

⑨そもそも「素人に裁かれたい」という人は圧倒的少数派。

⇒世論調査の結果を見ると、一般論として裁判員制度に賛成する人は多いようです。しかし、自分が裁判員になることはいやだという人が多いという結果も出ています。

さらに、授業などで学生に「自分が刑事被告人になったら素人に裁かれたいか、プロに裁かれたいか」と問うと圧倒的多数(9割近く)の人が「プロに裁かれたい」と答えます。(この結果は世論調査では示されない。)

このような現実があるにもかかわらず、裁判員制度は実現されることになりました。しかも、被告人は、プロと素人と、どちらに裁かれるか、を決めることはできないのです。アメリカでは、被告人に選択権があります。

【タイトルに込められた意味】なぜ「9人」なのか。

裁判員は「6人」だが、タイトルは、裁判官3人を含む「9人」になっています。

これは、裁判官であっても「もしかしたらあの判決は間違っていたのでは」という思いが頭をよぎることがあるのではないか、つまり、プロの裁判官といえども、実は「迷える人々」であると考えたからなのです。

最高裁判事を務めた刑法学者団藤重光氏は、死刑判決を出したとき、「人殺し」といわれたことが頭から離れず、死刑廃止論者に転向したことはよく知られています。

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